Tumblr創業者David Karpが天才すぎてビビった話

■ ついさっき再会した。
僕も使っているこのブログサービス「Tumblr」の創業者であるDavid Karp氏と、ついさっき再会して挨拶をしたのだが、それで色々と思い出した。
去年、某店で彼に会った時、Tumblrの存在を知ってはいたけど、申し訳ないことに、それがどれほど偉大なサービスなのかは勉強不足で存じ上げておらず「背は高いしイケメンだなぁ」程度にしか思っていませんでした。
僕「こんにちは。今日はどうされたんですか?」
D「ああ、どうも。君は?」
僕「TOSHIYUKIです。アメリカとアジアで貿易会社と教育系のデジタルコンテンツを作る会社を経営してます」
D「本当に?僕より若いのにすごいね。僕はDavid。Tumblrというブログサービスを作ってるんだ。よろしくね。」
僕「そうなんですか。今度、僕にも是非とも招待を送って下さい。使ってみますから」
D「ありがとう。送っておくよ。ああ、そうだ。名刺もらってもいい?」
僕「どうぞ。」
D「サンキュー。申し訳ないけど、僕の名刺はないんだ。今日そういうつもりで来てないからさ。後で送っておくね。」
僕「ありがとう。それで今日は何を?」
D「東京に住んでいた時の友人と一緒に遊びにきたんだ。はぐれちゃったけど。」
僕「そうでしたか。東京に住まわれていたんですね?」
D「うん。少しだけどね。あ、居た! 連れを見付けたから、僕はこの辺で。バイバイ!」
僕「ありがとうございました」
覚えている限りだと、彼とはそんな話をしました。軽くあしらわれた程度にしか思わなかったのですが、その後、本当にメールのやり取りがありました。
初めてフルネームを知って色々調べたら、今一番ホットな人の1人だったという。
そして彼が再び来日して講演したSocialMediaWeekでの講演を聞き、ようやく理解した。
ああ、これは革命的だなと。
■ 講演内容
Tumblrを2007年に創設。
現在6000万以上のブログが開設、170億のポストが投稿されている。
様々なクリエイティブ表現がより多くの人とシェアされ、急拡大するTumblr上でのコミュニティについて、彼は熱く語りました。
■ そもそもTumblrとは??
マイクロブログサービスで、画像やテキスト、動画、音声、web上の記事引用、リンクなどを投稿でき「オンラインのスクラップブック」としての要素が強く、Twitterのように他ユーザーの投稿を共有する仕組みを持っている。Tumblr(wikipedia)
■ デイビット・カープが語るTumblrの2つの特徴
・Limitless Expression(制限なしの表現力)
Tumblr創業の2007年当時、Webへのパブリッシングツールとして存在感を持っていた、Flickr、YouTube、Twitterという3つのサービスは、いずれも簡単に投稿ができたが、デザインについては自由度が少なかった。
一方で、wordpressに代表されるブログCMSは、利用者の裁量は大きいものの、使い方が複雑だった。
そこでTumblrは、7つボタン(テキスト、画像、引用、リンク、チャット、音声、動画)を並べて、簡単に投稿できる仕組みを考えた。
いろいろな種類のものが簡単に投稿でき、そしてデザインを自由に選べ、自由に自己表現ができる、スクラップブックのようなブログサービス。それがTumblrだ。
・Huge Opporunities (巨大な機会)
Tumblrのコミュニティはクリエイター、キュレーター、オーディエンスの3層構造になっている。クリエーターが作品をアップロードすることで自己表現をし、キュレーターはそのクリエーターの作品を集めることで自己表現をする、そうしたキュレーションの集まりをオーディエンスが閲覧する。
そうした行為を繋ぐのためにReblogという機能が上手く動作している。
■ Tumblrが目指すのはクリエイターのためのツール
デイビット曰く「我々はクリエイターにとっていいツールを作っていく。何にフォーカスするかということ。つまりクリエイティビティだ。表現をするプラットフォームは現在、YouTube、Instagram、Tumblrしかない」
コミュニケーションツールとして、FacebookやTwitterなどがあるが、そんな中で「Tumblrはクリエイションツールになることを目指している」と明確に宣言していた。

■デイビット・カープが語るTumblrの状況
・ユーザー年齢層
13-17歳 - 17%
18-34歳 - 37%
35-49歳 - 30%
50歳以上- 15%
メインユーザは世に出ることを目指している14-20歳の若者と写真の楽しさに目覚めたシニア層
・男性52%,女性48%で男女比に主な差はない
・グローバルでのアクセスは、50%がアメリカで最近はブラジル、イギリスが伸びている。
・日本でTumblrへのアクセスは33%がモバイル、グローバルでは20%がモバイル
・ビジネスモデルはTumblrのデザインテンプレートの販売、投稿自体を目立たせるプロモート投稿の提供
・グローバルでは月間160億PVのアクセス、日本では9400万PVのアクセス
・アクセスの70%がTumblrユーザーで30%がビジター
・アクセス元としてはGoogleよりもFacebookからの方が多い
・オバマ米大統領も選挙戦で活用した。選挙戦を制したのはTumblrのおかげか?
■ 本物の天才
David Karp氏はニューヨーク生まれの25歳。14歳でアニメプロデューサーのFred Seibert氏の元でインターンを始め、その後、年齢を隠して、都市部に住む母親が情報交換するためのサイト「アーバン・ベイビー・ドットコム」でソフトウェアコンサルタントを務めたという“神童”。
14歳と言えば、僕が東南アジアで事業を始めた歳だが、そんな僕などお話しにならないほど実績になるキャリアを積んでいることは、経歴からも分かる。
(僕はこの頃は生活が苦しくてGoogle様のところでバイトしてたっけ・・・、Google様は神である)
彼と話してみて、または話しているのを聞いて思ったことは、彼はとても「人間らしい」ということ。感性がものすごく強いということか。でも頭は天才的に良いから、どこまでも切れているから、これからサービスは拡大し、クリエイションツールの1つとして名を馳せていくのだろう。
何よりもセンスが良い。
僕が彼から招待を送られてTumblrを使い始めたのもデザインにセンスの良さを感じたからだ。言葉で説明するのは難しいが、このサービスは本当に良いと思った。
「ブログが日記だとしたら、Tumblrはスクラップブック」「”The easiest way to blog”(一番簡単なブログする方法)」などのキャッチフレーズからは、分かりやすく手軽なフォーマットで自己表現の幅を拡大したデビッドの考えが滲み出ている。
それにしても、彼はアニメのプロデューサーのFred Seibert氏のところでインターン、それが高校中退して、学校に行かず家でホームスクーリング(homeschooling)で勉強して、17歳で日本に来て、戻ってTumblrを作り、それで今、注目の若手アントレプレナー。
とても興味深い経歴ですよね。
もう「自分で必要なことがきちんと学べる人」は、前時代的な手段に則って学校に行って、みんなと同じことを同じように体系的に学ぶ必要なんてないのでしょうね。
彼は間違いなく「天才」に属する人間だと思います。
人間の根源的な欲求を知っていて、なおかつ必要なものを適切に提供できる能力に長けている。
「ブログは普通の人には難しすぎる」というところからスタートしているところも面白い。確かにその通りだ。
ユーザーに対して1つ、2つとステップを入れてあげることで、既存のブログサービスが持つ問題を解消することに成功。
そうして見事、最高の自己表現の場「Tumblr」を創り上げた。
とにかく、そのセンスには脱帽です。彼の今後からは目が離せません。
調査は昨年12月~今年1月、協力に応じた道内23中学校1248人と22高校2471人に対して行った。「直近の1カ月で喫煙した」と答えた割合は、高3女子1・7%、中1男子0・9%、女子0・6%だった。
厚生労働省(当時厚生省)は1996年度に無作為抽出した高校を対象に全国調査を実施している。道内は高3男子48・7%、同女子19・8%。男子は成人男性57%と大差はなく、女子は成人女性の16・3%を上回った。
78年は、新井素子が本格的に活躍を開始した年です。
右の写真は、この年に発売された新井素子の最初の単行本です。
新井素子の登場と、その受け入れられ方というのは、現在から振り返ってみると時代の節目となる大きな事件でした。
当時の私はそんなことを思いもせずに、無邪気に同世代作家の書いた小説を読んで喜んでいましたが、今にして思うと、ここでもはっきりと何かが変わっていたのです。
新井素子はSF専門誌「奇想天外」の新人賞で佳作をとり、78年2月号でデビューしました。この号が発売されたのは77年12月のクリスマス頃だったと思いますから、デビューは正確には77年ということになります。同時に佳作をとってデビューした5人の中には山本弘などもいます。
この時にSFファンの間で話題になったのは、同じ号に掲載された選考座談会の内容でした。選考委員は星新一、小松左京、筒井康隆という当時のSF界御三家で、最終選考に残った14作品について3人が議論をたたかわせている様子が収録されています。そこでは、新井素子に関する評価がはっきりと割れていました。激賞する星新一と、否定的な2人の食い違いぶりが、鮮明になっていたのです。以下に引用します。
小松 「あたしの中の……」これは16歳の少女でしたね。
星 これは、驚いたの一言につきたな、ぼくは。
小松 そうかねえ、ぼくはあんまり感心しなかったけど。
星 違った世代が、ついに出現したという感じを受けましたね。テンポというものがあるんだ。いままでの小説の中にない新しさというとテンポだろうと思うんだ。
筒井 それならば、むしろ「カッチン」の方がいいですね。「あたしの中の……」の場合は、話がよく出来ててかわいらしいんだけども、女性の饒舌体とか、マンガの吹き出し的なセリフが生かされてないんですよ。もっともっと生かせたと思う。欠点がちょっと目につき過ぎる。
星 ぼくはこれがいちばん欠点が少なかった。ちゃんと伏線があり、ユーモアがあり、サスペンスありで、構成に破綻がないよ。
(中略)
小松 (略)たとえば、地の文の中に「……ちゃった」というようなことを書かれると、ぼくはもうやたらに抵抗がある。
星 いまのああいう世代の女の子は、こういう文章を書くということで、ぼくは納得しているんだけど。
筒井 ただ、そういった文章が出てくるのはいいことなのか、それとも悪いことなんですか。
星 もはやいい悪いじゃないと思うよ。世の中がこうなっちまったんだ。
小松 そうでもないよ。ちゃんとした文章もあるぜ。
筒井 そうなっても星さんは困らないんですか。つまり、SFがそういう作者の出やすいところでしょう。われわれが踏んばらなきゃいけないんじゃないかという気がするんだけど。地の文まで崩したのを許していいのかどうか。
(中略)
筒井 ほんとにこのままでいいと思いますか。これを入選させて、このままの調子であちこちからの作品依頼に応じさせてもいいと、ほんとに思う?
星 そりゃ、いいと思うな。SFと劇画で育った世代の象徴とみていいんじゃないかな。ぼくは、これによって人生観が変わった。生じっかの社会体験ならむしろない方がいいらしい。
筒井 それをいうなら、「カッチン」の方ですよ。
星 いやいや、ぼくがいちばん感心したのは、ストーリイ作りがうまい。これだけのストーリイは、いまのSF作家にも書けないんじゃないか? これはやはり一種の特異な才能ではなかろうかと。突っつきようがないんだもの、ほかの作品のようにここがおかしいじゃないかというところがない……。「カッチン」の場合は、コンピューターによりかかっている点が新鮮なので、ストーリイは単純なんだ。これはそういうものによりかからずにストーリイそのもので勝負している。とにかく、ストーリイに関しては珍しいぐらい巧妙でうまいなァ。
小松 ただねえ、最初の設定にドラマが踊らされているというところがある……。
星 それはまあ御都合主義といえなくもないけど、御都合主義もここまで徹底すりゃいいんじゃない。
筒井 ワァー、スゴいほれこみようだなァ、どうも(笑)
星 推理小説だってそうでしょう。
筒井 小説はみんなそうじゃないですか。御都合主義というとすれば。
小松 いかに御都合主義を御都合主義にみせないかというところに腕のみせどころがあるんじゃないかと思うんだけど、この文体ではどうも。
筒井 ストーリイはたしかにいいけど、文章をもうちょっとどうにかしないと困りますよ。
星 いやァ、この文章がいいよ。……(笑)
筒井 文章が幼くてかわいらしいのを、星さんは、「文章がいい」と勘違いしているんでしょ(笑)とにかく星さんがあれだけ推しているんだから、残しておきましょう。
小松 おれたち追い上げられているんだな、こういうのをみると痛感するよ(笑)
(中略/以下は最終選考の場面)
小松 でも「あたしの中……」を一位に推すにはちょっと選者として恥ずかしいよ。「高校SFコンテスト」ならともかく(笑)
星 それ以外のを選ぶのはもっと恥ずかしいよ。
小松 うーん……それなら、入選作ナシということになるか。
星 それでもいい。いずれにせよ「あたしの中の……」を、わたしが強く推したことを記録に留めてくれれば。
(中略)
星 (略)とにかくクドイようだけど、「あたしの中の……」に出会った時は、とてもぼくなんかには書けない、違った世代の登場で引退せざるを得ないなと、ほんとに思ったよ。
筒井 そこまでホレ込むと……どうする小松さん、入れちゃう?(笑)
小松 佳作ならともかく、入選にするのはどうしても……。
星 いいよいいよ。この作品がいずれ雑誌に掲載されて、ぼくが強力に支持したということを読者がわかってくれるなら文句はいわない。
筒井 読者に判断をまかせなきゃ仕方ないな。
星 これからはもう、こういうのしか出てこないんじゃないかなァ。
小松 ぼくはそうは考えない。むしろ、非常にしっかりした文章が書けるひとが沢山出てくると思う。
筒井 新しい文章は必ず出てくるけど、これではないよ。たとえばこの人が、四十、五十のオバハンになって、まだこんな文章を書いていたらどうする? 気味ワルイですよ。
小松 ジャレている文章なんだよ、つまり。
星 そのへんを考えなおし初めてきたんだ。
筒井 麻薬みたいなもんですな。
星 ぼくなんかには、とてもそういう表現は出来ない。
筒井 あたりまえですよ(笑)。星さんがこんなの書き始めたら、気が狂ったかと思われる(笑)
(「奇想天外」1978年2月号より引用)
さて、その新井素子が「四十、五十のオバハン」になったのが現代のわれわれの世界です。結果的には、そんなこと気味悪いとは感じない世界になったようです。
今回問題にしようと思った要素は、ほとんどこの座談会の中で洗い出されているようなものですから、ちょっと長めに引用してしまいました。これを読むと、小松左京と筒井康隆がえらく保守的に見えますが、当時としてはあたりまえと言っていい反応だと思います。むしろ、星新一の柔軟さが過激なまでに突出しているのです。
新井素子をめぐる問題については、近年「サブ・カルチャー文学論」(文学界/大塚英志)の連載で1回をさいて取り上げられていました。この評論文は、おたく史を考察する時にかなり重要になる指摘を含んでいます。「「ルパン三世」的リアリズムとキャラクターとしての〈私〉――’80年代小説としての新井素子」というタイトルからもわかるように、小説における「私」という問題に「キャラクター」という(おたく史考察において重要な)要素をからめて論じており、文学史の中に新井素子を位置づけるという大胆な試みをしていました。
私は大塚さんとは時々いっしょに仕事したりしますから、こういうところでこの人の文章を持ち上げたりすると、知り合い同士でだらしなく馴れ合っているみたいで嫌ですから、できたら批判しておきたいのですが(笑)、新井素子評価に新しい切り口を与えたという点では、この評論文は大変意義があると思います。
「サブ・カルチャー文学論」は、石原慎太郎論をめぐる編集部との衝突で中断され、その後単行本にもなっていませんので、現在読むことはできません。ぜひ早いうちに単行本化してほしいと思います。
この「サブ・カルチャー文学論」で論じられている問題点も含め、「新井素子の中に読み取るべき時代の変化」という視点は、かなり多くの問題を明らかにするだろうと思います。
そして、それと同時に今さらのようにわき起こる疑問は、「なぜ星新一だけが、あの時、新井素子の中の何かを見抜くことができたのか?」ということです。世間の相場からすると十分以上に柔軟性のある思考をしていたはずの他のSF作家でさえ保守的に見えてしまうほどの、星新一の発言の突出のしかた。「ぼくは、これによって人生観が変わった」「違った世代の登場で引退せざるを得ないなと、ほんとに思ったよ」とまで言ってしまう星新一という存在が、新たな問題としてそこに浮かび上がってきます。
日本のSF界を長くリードしてきたのは星新一でした。80年代にいたるまで、多くの中高校生の基本講読図書として人気トップにあった星新一というものが、後に「おたく系」となる人々に潜在的に与えていた影響力は、計り知れないものがあります。にもかかわらず、これまで「星新一」という問題を正面から論じた文章にはお目にかかったことがありません。それは、星新一があまりにもわかりやすいものに見え、思春期とともに卒業するものとして了解され、忘却されてきたからです。

